折りたたみ椅子ブーム

イタリアルネッサンスから直接影響を受けた例として、サボナローラ・ホールディングチェアー型の折りたたみ式椅子がある。

これは本来はドミニカ修道士であったジロラモ・サボナローラのために作られたものである。

彼はロレンツォ・メディチによってフィレンツェに招かれたが、皮肉にもメディチ家やロレンツォの保護のもとで続いているルネッサンスに強く反対したため、火あぶりの刑に処せられてしまった。

だが、椅子の名前として今日まで残っている。

サボナローラ型は十六世紀のイギリスではほとんどみられないが、十九世紀後半になると数多くコピーが作られた。

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家具もデザインの再生ブーム

わずか16歳でこの世を去ったエドワード六世(1547~1553)の摂政政治時代から、短いメアリー女王(1553~1558)の治世まで、イギリスでは宗教的迫害や不穏な状態が続いた。

しかし封建制度の崩壊によって、豪族たちは内輪同士の争いから、その後長く続くことになるヨーロッパ大陸での戦いに矛先を変えた。

当時イタリアに侵略中であったフランス人は、イタリア人が自らの過去の芸術表現形式を再評価していることに注目し、その後フランスの宮廷に当時のイタリア様式を紹介した。

そしてこれをフランス人は”デザインの再生”という意味でルネッサンスと呼んだ。

このようなデザインに対する新しい考え方はイギリスにも浸透した。

その結果、聖堂様式のデザインが終わりを告げることになり、職人たちは彼らの技術を世俗向きの仕事に向けだした。

このため十六世紀の後半には、職人たちは家庭用の家具をさかんに作るようになった。

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チェストは豪華に

はつり彫刻(チップカービング)のよい例としてチェストがある。

これは一定の大きさの厚板の表面を彫って連続した図案とした装飾である。

この種の彫刻は初期のチェストに多く用いられたが、ただそれも外側の縁の部分だけであった。

このタイプのチェストの典型は今日でもまだみられるが、あまり上等なものはない。

また家具に使用された塗装は、目止め剤で、テンペラの一種であるジェッソーであった。

聖堂様式の装飾は、とくに田舎では十六世紀に入っても続き、これをゴシック様式といっている。

しかし十六世紀はじめまであった最もポピュラーなパターンは、チェストの前方にメダリオンヘッドをほどこしたものである。

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貴重品はコンパクトに?

富を示すものとしては、豪華な紋章付きの旗や壁飾りとか、銀製品や金の飾りもの、上等なベッド用の毛布くらいのものしかなかった。

これらはいざ戦いとなれば、チェストの中に手早くしまえ、安全に運搬することもできた。

そしてそれ以外の道具はどれも折りたたみ式か携帯用で、そのほかは犠牲にしても惜しくないつくりだったのである。

何世紀にもわたって家庭用家具にとりいれられた装飾は、聖堂建築の様式からとったもので、アーチ型をした扉や窓のようなデザインであった。

これは薄肉彫り(ローレリーフ)のはつり彫刻(チップカービング)をしたものか、あるいはそれに明るい色で彩色したものであった。

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戦乱は家具の進化を止める

イギリスは何世紀もの間、建築や装飾において非常に水準の高い職人技術を持っていたが、これらのほとんどは教会関係のもので、世俗的な建築や装飾は発展していなかった。

これは十五世紀末から十六世紀はじめまで続いた封建制度のもとでは、常に豪族同士の勢力争いが行われたため、領主たちは近隣の敵に対しいつも警戒していなければならなかったからである。

勝てばより大きな館を建てることもできたが、負ければすべてを失わなければならなかった。

このため、この時代の家具は数も貧弱で、基本的には実用一点張りであった。

ベッドは当時最も重要な家財道具だったが、チェスト、テーブル、ベンチなどとともに、戦いにより頻発する火災と襲撃のため、しばしば急いで移動しなければならなかった。

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チューダー朝(1500~1558)の家具

1500年当時のイギリスの総人口は、ちょうど500万人弱であった。

それは、今日の大ロンドン市の住民より少なく、現在のイギリス総人口の約10分の1にあたる。

チューダー朝の最初の王であったヘンリー七世(1485~1509)統治時代の半分をすぎたころである。

そしてその後ヘンリー八世(1509~1547)時代に、ローマ教会からの歴史的な離脱を経ることになる。

これがいわゆる宗教改革であるが、これによって国中の教会の調度品、窓、記念碑、床、壁画などがことごとく破壊された。

また多くの初期ノッティンガムのアラバスター(雪花石)膏模様と、素晴らしい何千オンスもの銀製品が破壊されるという悲しむべき時期であった。

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オリジナル家具なのか模倣家具なのか

ある形の家具があったとすると、それが以前にあった様式を発展させたものなのか、それともそうではなく、その時に使用可能な材料とか道具、あるいは当時の流行をとりいれたものかなどは、そのオリジナルがわからなければ本当にはわからないだろう。

イギリス家具史の研究も、単に形式を学ぶだけなら簡単だが、ひとたびその背景ということを考えはじめると大変な仕事である。

生涯の仕事になってしまうほどのものである。

しかしそれだけにまた、イギリス家具史の研究は大変に刺激的であるということにもなる。

なにしろこれまで完全にわかった人は誰もいなかったのだし、今後も知りつくせないであろう。

それだからこそやり甲斐もあるというわけである。

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家具に与えられた様々な刺激

イギリス家具の歴史とはイギリスの歴史そのものだということができる。

すなわち、ある製造方法示他の方法を導き、あるデザインが次にくるものの基礎となり、あるいはさらなる変化を生み出してきた。

この中には職人の自発的な工夫や海外からの影響もあったし、また今まで述べてきたような社会的歴史的な要素もすべて家具の変遷の要因であったのである。

したがって、ある時代のイギリスの家具を理解しようとするなら、その時代背景を理解することなしには不可能である。

たとえぽヴィクトリア朝の家具の研究をしようとすれば、エリザベス朝からはじまって、ゴシック、ラスティック、ニューシェラトン、さらにはフランス、イタリアなどの家具の研究も視野に入れなくてはならない。

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家具は様々な要因で、そのデザインになる

家具史の研究には単純な面と複合的な面がある。

単純な面とは、家具産業の発展に伴って起こってくる形式の基本的な知識を習得することである。

これに対し複合的な面とは、家具の変化が政治、経済および国内国外の社会的進歩に深く関連しているということを研究することである。

すなわちどの時代においても、家の中にある道具はすべて、それぞれの時代の社会を反映してるが、中でも特に家具は、文明の歴史がはじまって以来、最もその時代をよく反映しているものといえる。

したがって家具の歴史を研究するためには、対象となる時代の生活や歴史の理解なしには不可能である。

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イギリス家具の長い歴史

十九世紀初頭までのイギリス家具の歴史は、オークの時代(1500~1660)、ウォールナットの時代(1660~1720)、マホガニーの時代(1720~1770)、サテンウッドの時代(1770~1800年代)というように、4種類の材料によってほぼ時期を分けることができる。

これに続くリージェンシー時代は、ジョージ皇太子による摂政政治の時代ということである。

摂政政治が行われた期間自体はわずか1811年から1820年までであるが、1800年から1830年までの間に作られた家具は、リージェンシー様式とされている。

そしてこのリージェンシー様式はいくぶんあいまいな形でウィリアム四世、さらにヴィクトリア朝にずれこんでいる。

このオーバーラップした期間をまともに研究するようになったのはせいぜいここ25年であり、ヴィクトリア朝の家具にいたってはさらに最近のことである。

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